Poccoです。
つい先日、近所のおばさんが、子供たちにチューリップの球根をくれました。
何にでも興味がある子供たちは「早く植えようよ!」と喜んでいましたが、実は一番喜んでいたのがパパ。
パパの唯一の趣味が「土いじり」で、春から夏になると毎年、家庭菜園をはじめます。
きゅうり、トマト、なす、スナップエンドウ、オクラ・・・毎年、色々な野菜を育ててきましたが、苗から植えて、毎日水をやり、夏のある日に色鮮やかな野菜が庭に実っていると、すごく幸せな気持ちに私もなります。
家で採れたキュウリなんて、本当にみずみずしくって、始めて食べた時はおいしくて感動しました。
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もともとパパが家庭菜園をはじめたきっかけは、「子供たちの情操教育にいいんじゃないか」という理由から。
苗を植えて、毎日水や肥料をやり、雑草を取って世話をして、そして果実を得る。
「因・縁・果=原因と結果の法則」なんて言い方もしますけど、これって人生のすべての局面において当てはまる法則ですよね。
種を植える(因)というのは、まさに将来どんな自分になりたいかの最初の選択。
チューリップの球根を植えればチューリップの花が咲き、トマトを植えればトマトが育ち、毒麦を植えれば毒麦が実る。
どんな種をまくかは、その人本人の自由ですが、実った果実はその人の選択の責任。
種そのものが個性の象徴でもありますが、子供が天に向かってまっすぐ伸びていけるように、親は善悪を教え、愛をそそぐ太陽のような存在にならないといけませんね。
理想は太陽ですが、現実は毎日カミナリ様です(笑)。
水をやったり、肥料をあげたりするのは、毎日の努力と継続が必要(縁)。
巷の成功法則の本を読むと、「思えば実現する」なんてのをよく見かけますが、それは「種を蒔いたら翌日にはすぐ果実が実っている」と言っているようなもの。
私は、人生の経験上この考え方には賛同しません。
たしかに、因・縁・果の縁の部分は、時間もかかるし面倒くさいかもしれませんが、この期間こそ、育てる喜びも凝縮されています。
子育てだってそうでしょ。
子供を産んで、次に会うのは成人式なんて言ったら、子供と共にすごす喜びも苦労も何もありませんよね。
うちのパパも、この育てる大変さと喜びを子供たちに経験させたくて、家庭菜園をはじめたんです。
だから、パパは子供が植えたものには水やりはしません。
水をあげないで枯れてしまうのもまた、原因と結果の法則。
毎年、夏休みの宿題の観察日記の朝顔なんかは、干からびちゃって可哀そうなんですけどね。
種がまかれて水をやり、そして果実が実る(果)。
子供たちには、ぜひ善き種をまき、努力して成長し、良き実りをつけて欲しいと願っています。
でも、この「因・縁・果」にはもう一つ続きがあって、「因・縁・果・報」(いん・えん・か・ほう)という場合もあります。
報(ほう)とは報(むく)いのこと。
種がまかれて水をやり、果実が実って報いあり。
たとえば、リンゴの種を植えて、大事に育て、たくさんの果実が実れば、多くの人がそのおいしいリンゴを食べることができます。
だから、子供には、大きな果実を実らせて欲しいと思いつつ、さらに、多くの果実も実らせて、他の人にも恩恵を分けてあげられる人になって欲しいなとも思います。
そこまで願うのは親の欲でしょうか。
でも、そう思って育てなければ、立派な果実は実りませんからね!
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