マキを背負って、読書にいそしむ少年。
私の父親世代には、全国の小学校にその銅像が立っていたようですが、今ではすっかり見かけなくなった二宮金次郎(尊徳)の銅像。
二宮尊徳の「積小為大(せきしょういだい)」の精神、すなわち、コツコツと努力を積み上げて大をなす考え方は、資本主義の精神の原点ともいわれています。
二宮尊徳(1787年~1856年)
江戸時代後期の農政家・思想家。通称は金次郎。小田原藩出身の農民であったが、家老服部家の財政を再建して有名になり、下野国桜町領(現在の栃木県真岡市)など、600カ所以上の農村や藩領の復興に携わった。
しかし、「子どもが歩きながら読書をするのは危険」という理由で教育界で議論になり、今では、ほとんどの学校で撤去されてしまいました。
えー、そこ?!
議論するところ違うんじゃないの?
二宮尊徳の銅像が象徴しているのは「勤勉の精神」で、歩きながら読書しろってことじゃないでしょ。
まあ、何につけてもクレームを言う親と、労働組合化してる教育界には、もはや勤勉の精神は受け入れられないのでしょうか。
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さて、その二宮尊徳さんには、数多くの名言やエピソードが残されていますが、今回の四コマ漫画で紹介した話もその一つ。
桶の水は、自分の方に引き寄せようとすると向へ行ってしまい
相手の方に水を押すと、自分の方に帰ってくる
すごく簡単な真理ですが、こういった事例はわが家でもたくさんあります。
勇気(兄)と祈(妹)は、毎日のように兄妹喧嘩をしますが、その一番の原因がハムスターのぽっこをどっちが先に抱っこするか。
昨日はお兄ちゃんが先だっただの、祈のほうが抱っこの時間が長いだの、まあ、われ先を争って喧嘩が絶えません。
結局、私がブチ切れてぽっこを二人から没収する羽目になります。
これなんかは、桶の水を自分の方に引き寄せようとして、結局、向こうに行ってしまう例ですよね。
でも昨年のクリスマス、子供たちの成長を感じたできことがありました。
家族4人でクリスマスケーキを買いに行き、各々が好きなケーキを選んで帰ってきました。
パパはチーズケーキ
ママはモンブラン
勇気はチョコレートケーキ
祈はいちごのショートケーキ
夕食を食べ終わって、お楽しみのケーキタイム。
勇気が一口ケーキを食べると、あまりにおいしくて感動したのか、
「ねえねえ、パパ、ママ、祈ちゃん、これすごく美味しいから食べてみなよ!」
とみんなに一口ずつ食べさせてくれました。
それを見た祈も
「祈ちゃんのケーキもおいしいよ!」
とみんなに食べさせてくれ、さっきチョコをくれたお兄ちゃんには、大切ないちごまであげていました。
ことわざで、“情けは人のためならず”という言葉がありますが、その意味は「人のために情けをかけると、巡り巡って自分にその良き報いが返ってくる」という意味です。
これはよく、反対の意味で誤解されがちなことわざですが、中学受験のテストなんかによく出ますよ!
二宮尊徳の桶の水の話も、このことを表しています。
今、世界で起きている紛争なども、お互いが先に歩み寄れば解決できるんじゃないか・・・そんな単純なものじゃないのかもしれませんが、真理はいつの時代も普遍でシンプルなものじゃないでしょうか。
私は今一度、学校に二宮尊徳の銅像を建てて欲しいと願っています。
でも、現代の二宮尊徳は、手にスマホを持っているのでしょうか?
そうしたら、また「歩きスマホ禁止!」って、銅像が撤去されちゃいますかね。
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