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高学歴難民のショッキングな末路

イラスト:イラストAC

Googleで一度検索すると、それに関連したニュースや広告が芋づる式に流れてきます。ネット時代の良し悪についていろいろと言いたいことはありますが、それはともかく最近、どこで何を検索したのか『高学歴難民』という本の記事がやたらと流れてくるようになりました。

たしかに、子育て真っ最中の私にとってはすごく気になる〝パワーワード”でもあり、Googleの広告に乗せられるのは癪だと思いつつも、思わず書店にいって本を買ってしまいました。

『高学歴難民』(著:阿部恭子)

帯を見ただけでも内容がすごく気になりましたが、読んでみてさらに、高学歴難民のショッキングな末路に悲哀を感じ、自分の子育てについて考える機会にもなりました。

 

 

高学歴難民という言葉

そもそも、「高学歴難民」という言葉自体をはじめて聞いたという人もいると思いますが、その意味を本書から引用すると、

 

一時はエリートを呼ばれ、順風満帆な人生を歩んでいたかと思えば、30歳を過ぎてもまだ無職・・・。長年の努力は評価してもらえず、居場所を求めてさまようことになってしまった「高学歴難民」。

 

厳しい言い方をすれば、学歴はあるけれど賞味期限が切れていて買い手がつかない無駄に高学歴という烙印を押されてしまった人たちとも表現されていました。

 

普通、学歴があれば「高収入の会社に就職できて、都内のタワーマンションに住んで成功人生」なんて安易なロードマップを思い描きがちですが、この本に登場する高学歴難民の人たちの末路は・・・

 

〇これ以上、家族に迷惑をかけられないと「振り込め詐欺」に加担

〇元恋人だけ幸せになるなんて許せないと突然のストーカーに豹変

〇家賃6万円のアパートをシェアし、セックスワーカーで支える難民生活

〇学歴至上主義家庭に生まれ、「無職・借金1000万円」の迷走人生

〇屈辱を味わった法律事務員がタクシー運転手になるまで

 

など、どれも壮絶な体験談が赤裸々に載っていました。

 

高学歴難民の苦しみの根源は、社会的役割がないこと。大学院で博士課程まで取ったような方は、自己評価とプライドが高くなりがちで、社会に認められないという苦しみは、普通の人よりすごく重いのでしょうね・・・。

 

 

高学歴難民になってしまう原因

高学歴難民になってしまう理由は、体験談を読んでもそれぞれでしたが、共通していえるのは、自立ができなかったということだと思います。

1)裕福な家庭で高等遊民の生活が許される

高学歴難民に陥るタイミングとしては、大学院入学の選択が難民化の分岐点になっているようです。それも、進学の動機が、「就職のタイミングを逃した」「就職試験に落ちた」「会社員になりたくなかった」「まだ働きたくない」という人たちで、そういった理由で大学院進学が許されてしまう豊かな経済力を持った家庭というのが特徴的でした。

 

もちろん、司法浪人、医学部浪人など目標を持っている人もたくさんいますが、両親の経済力があればあるほど、浪人生活が長期化する傾向もあり、考えようによっては、経済力がなくて”あきらめ時”が訪れる方が、自立人生には必要なのかもしれません。

 

2)教育虐待

これはショッキングな言葉ですが、親の教育虐待から高学歴難民になるパターンもあります。

 

現在は一昔前ほど高学歴社会ではなくなっていますが、学歴社会は変化していても、学歴社会で育ってきた人々の中には、未だに根強い学歴信仰が存在しているようです。

 

例えば、父親は学歴がなくて希望の職に就くことができなかった挫折を、子どもをエリートに育てることで埋め合わせようと、子どもにかなりのプレッシャーをかけ、子どもはその親の期待の重さに耐えかねつぶれてしまう。

 

そもそも、親から押し付けられた勉強なので、勉強の本来の目的も分からず、その勉強が自分が本当にやりたい将来の夢と結びつかないため、就職する時期に労働意欲がわかないというのです。自分の子供の自立を妨げてしまった、これはまさに教育虐待という言葉が当てはまるのではないでしょうか。

 

子どもに教えたい学問の意味って?

江戸時代にまでさかのぼれば、そもそも学問とは儒教のことでした。儒教を一言でいえば「人間完成の道」ですが、もう少し砕いていえば「人間として賢く生きる秘訣」を教えた学問だといえます。

 

しかし、明治維新以降、欧米列強に追いつけ追い越せとばかりに実学が入って来て、現代教育で学問といえば実学のことを指すようになりました。

 

しかし、人間性という土台があってこそ、実学という柱が建つのであって、人間性の欠如した実学は、砂上の楼閣であるということを、この『高学歴難民』は物語っているのではないでしょうか。

 

人間として賢い子に育てたい

勉強ができる「頭の良さ」と、人間として「賢い」というのは違います。私は子どもたちには、人間として「賢い」子になって欲しいと子育てをしています。

 

勉強ができる「頭の良さ」とは、まさに学歴で表されるものであり、学歴から推測できるのは、学力は専門性だけであり、人間性までは判断できません

 

対して、人間としての「賢さ」とは、勤勉さ、忍耐力、やってのける力、協調性、人間関係構築力、愛、優しさ、思いやり、自己犠牲の精神、純粋さ、従順さ、謙虚さ・・・などです。実は社会に出てから役に立つのは、こちらの「賢さ」の方です

 

四コマ漫画でも描きましたが、子どもは親の背中を見て育ちます。私も子どもが見習いたくなるような「賢い」親になれるよう、自らを省みて子育てに励みたいと思いました。

 

最後に、人間性を育てるという意味では、ペットを飼うのは最適ですよね。たまごっちみたいな育成ゲームなら放っておいても構いやしませんが、わが家の愛犬ラッキーはそうはいきません。

 

毎日ご飯を食べないと死んでしまいますし、お散歩にいかないとストレスがたまって病気になります。だから面倒くさくても、子供たちにはエサやりさ散歩をしっかりとさせます。そういったことからも、優しさや責任感などの「人間としての賢さ」を学んでほしいと思っています。

 

まるまって寝る姿がなんとも可愛い

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