強風オールバックのポメラニアン




先日は、風が冷たい上に強風でラッキーの散歩が大変でした。ラッキーも体重が4㎏弱なので、向かい風に戻されてなかなか前に勧めない・・・ということで、「強風オールバック」の歌を歌いながら散歩しました笑。
「強風オールバック」を知らない方は、Youtubeでぜひご覧ください。最初はなんだこの曲はと思って聞いていましたが、こういう曲って中毒性ありますよね。
総再生回数7990万回!!!今の時代、何がヒットするかわかりません。
何も遮り物のないまっすぐの畑道。
横風で毛がさかだって前がみえません💦。

いつも思いますが、犬は毛で覆われているといいつつ、やっぱり寒くないのかしら?
たまに、ふるえている犬いますよね。
ラッキーも毛がぼうぼうで、そろそろカットに行ってあげたいんだけど、冬は寒いかなとそのままにしております。
ポメラニアンは何でも「ダブルコート」という二重構造の毛になっているそうです。シャンプーすると、乾きやすい場所と、全然乾かない場所があるのは、毛の質が場所によって違うんですね。
うー、目があかない・・・

でも、風なんかに負けません。
強風オールバックで前進、前進!!

【超お勧め】英単語が芋づる式に暗記できる『英単語の語源図鑑』





交通機関の発達、インターネットの普及などでますますグローバルな社会になり、今や小学生から英語の勉強がはじまっています。私たちの昭和生まれ世代は、英語の勉強は中学生からでしたよね・・・。
息子の勇気(中学生)の学校でも英語の勉強に力を入れていて、毎年1回、英検の受験が必修なんですが、今年、勇気は英検3級にチャレンジします。そんな勇気の姿をみて、「また英語の勉強はじめようかな」なんて思う私・・・。
しかし、私はこれまで何度も英語を勉強し直そうと一念発起しては挫折を繰り返してきたことか・・・。駅で外国人に切符の買い方を聞かれたり、海外に行ったりすると「あーもっと英語を話せるようになりたい!」と思って英会話のCD10巻セットを買ったはいいけれど、1巻だけ封をきってそのままBOOKOFF行きなんて経験、きっと私だけじゃないはず!!
勇気の英検の受験もあるし、何かいい参考書ないかななんて探していたら、まさに私が学生時代からうん十年、「こんな単語帳があったらいいのに」と夢想しつづけた理想の参考書がベストセラーになっているではないですか!それがこちら。

英単語が覚えられない私
とにかく私は英単語を覚えるのが苦手。英単語だけではなく、社会の歴史など丸暗記科目が不得意でした。
要領よく勉強できる人は、学校の先生が「これは覚えておけ」なんて言われたことはそのまま覚えられるのでしょうが、私は例えば「応仁の乱」という言葉を覚えるにしても、どうしてそういった内戦が起きたのか、歴史の背景やストーリー、登場人物の気持ちなどが分からないと覚えられないんです。だから「応仁の乱」一言覚えるにも、1時間くらい本を読んで納得してから次に進むので、学生時代からテスト範囲の最後まで勉強が終わったことがありませんでした。とほほ。
そんなこんなで、英単語はさらに厄介でした。私にはただの記号にしか見えず、一夜漬けで丸暗記した英単語は、頭の中に無秩序に放り込まれ、整理整頓されてない汚部屋のようで、必要な時に見つけられない(思い出せない)んです。
ちょうどパソコンのメモリのようなもので、テスト用に一時覚えていても、本当にテストが終わった瞬間に綺麗にDeleteされていく。どうやったら脳内のHDDに保存できるんだろうと自分の頭のメモリ容量の少なさに悩んだものです・・・。
英単語にも語源があった!
でも、学生時代から「英単語にも成立ちや意味があるんじゃないか」という予感はしていました。
たとえば、単語の先頭によく見る、con、in、re、deなどは、その文字がつくと、だいたい似たような意味になりますよね。conだったら「合う」、inだったら「中に入る」、reだったら「繰り返し」、deだったら「離す」みたいな感じで、何となく共通性を発見しつつも、それを体系的に説明できる先生はいませんでした。
しかし、その何十年越しの疑問のすべての答えが書かれていたのが『英単語の語源図鑑』でした。
英単語の3つの構成
attraction
12種類の基本となる接頭辞を覚えよう
contract
conは、「共に」という意味。
extract
distraction
100の語源で10000語が身につく!
おまけ
私が妙に納得した単語のおまけ
Subway
subは、「下に」という接頭辞。
wayは、「道」。
つまり、下にある道で地下道、地下鉄の意味になります。
ちなみに、アメリカではSubwayは地下鉄を指し、イギリスは地下道を指すそうです。
Submarine
subは、「下に」という接頭辞。
marineは、「海の」という語根。料理でマリネといえば、肉、魚などを酢漬けやオリーブオイル漬けにしたものを指しますが、いずれも「海」を表していますよね。
つまり、海の下にあるもので潜水艦の意味になります。
英単語の勉強がはじめて面白いと思いました!!!
高学歴難民のショッキングな末路





Googleで一度検索すると、それに関連したニュースや広告が芋づる式に流れてきます。ネット時代の良し悪についていろいろと言いたいことはありますが、それはともかく最近、どこで何を検索したのか『高学歴難民』という本の記事がやたらと流れてくるようになりました。
たしかに、子育て真っ最中の私にとってはすごく気になる〝パワーワード”でもあり、Googleの広告に乗せられるのは癪だと思いつつも、思わず書店にいって本を買ってしまいました。

帯を見ただけでも内容がすごく気になりましたが、読んでみてさらに、高学歴難民のショッキングな末路に悲哀を感じ、自分の子育てについて考える機会にもなりました。
高学歴難民という言葉
そもそも、「高学歴難民」という言葉自体をはじめて聞いたという人もいると思いますが、その意味を本書から引用すると、
一時はエリートを呼ばれ、順風満帆な人生を歩んでいたかと思えば、30歳を過ぎてもまだ無職・・・。長年の努力は評価してもらえず、居場所を求めてさまようことになってしまった「高学歴難民」。
厳しい言い方をすれば、学歴はあるけれど賞味期限が切れていて買い手がつかない。無駄に高学歴という烙印を押されてしまった人たちとも表現されていました。
普通、学歴があれば「高収入の会社に就職できて、都内のタワーマンションに住んで成功人生」なんて安易なロードマップを思い描きがちですが、この本に登場する高学歴難民の人たちの末路は・・・
〇これ以上、家族に迷惑をかけられないと「振り込め詐欺」に加担
〇元恋人だけ幸せになるなんて許せないと突然のストーカーに豹変
〇家賃6万円のアパートをシェアし、セックスワーカーで支える難民生活
〇学歴至上主義家庭に生まれ、「無職・借金1000万円」の迷走人生
〇屈辱を味わった法律事務員がタクシー運転手になるまで
など、どれも壮絶な体験談が赤裸々に載っていました。
高学歴難民の苦しみの根源は、社会的役割がないこと。大学院で博士課程まで取ったような方は、自己評価とプライドが高くなりがちで、社会に認められないという苦しみは、普通の人よりすごく重いのでしょうね・・・。
高学歴難民になってしまう原因
高学歴難民になってしまう理由は、体験談を読んでもそれぞれでしたが、共通していえるのは、自立ができなかったということだと思います。
1)裕福な家庭で高等遊民の生活が許される
高学歴難民に陥るタイミングとしては、大学院入学の選択が難民化の分岐点になっているようです。それも、進学の動機が、「就職のタイミングを逃した」「就職試験に落ちた」「会社員になりたくなかった」「まだ働きたくない」という人たちで、そういった理由で大学院進学が許されてしまう豊かな経済力を持った家庭というのが特徴的でした。
もちろん、司法浪人、医学部浪人など目標を持っている人もたくさんいますが、両親の経済力があればあるほど、浪人生活が長期化する傾向もあり、考えようによっては、経済力がなくて”あきらめ時”が訪れる方が、自立人生には必要なのかもしれません。
2)教育虐待
これはショッキングな言葉ですが、親の教育虐待から高学歴難民になるパターンもあります。
現在は一昔前ほど高学歴社会ではなくなっていますが、学歴社会は変化していても、学歴社会で育ってきた人々の中には、未だに根強い学歴信仰が存在しているようです。
例えば、父親は学歴がなくて希望の職に就くことができなかった挫折を、子どもをエリートに育てることで埋め合わせようと、子どもにかなりのプレッシャーをかけ、子どもはその親の期待の重さに耐えかねつぶれてしまう。
そもそも、親から押し付けられた勉強なので、勉強の本来の目的も分からず、その勉強が自分が本当にやりたい将来の夢と結びつかないため、就職する時期に労働意欲がわかないというのです。自分の子供の自立を妨げてしまった、これはまさに教育虐待という言葉が当てはまるのではないでしょうか。
子どもに教えたい学問の意味って?
江戸時代にまでさかのぼれば、そもそも学問とは儒教のことでした。儒教を一言でいえば「人間完成の道」ですが、もう少し砕いていえば「人間として賢く生きる秘訣」を教えた学問だといえます。
しかし、明治維新以降、欧米列強に追いつけ追い越せとばかりに実学が入って来て、現代教育で学問といえば実学のことを指すようになりました。
しかし、人間性という土台があってこそ、実学という柱が建つのであって、人間性の欠如した実学は、砂上の楼閣であるということを、この『高学歴難民』は物語っているのではないでしょうか。
人間として賢い子に育てたい
勉強ができる「頭の良さ」と、人間として「賢い」というのは違います。私は子どもたちには、人間として「賢い」子になって欲しいと子育てをしています。
勉強ができる「頭の良さ」とは、まさに学歴で表されるものであり、学歴から推測できるのは、学力は専門性だけであり、人間性までは判断できません。
対して、人間としての「賢さ」とは、勤勉さ、忍耐力、やってのける力、協調性、人間関係構築力、愛、優しさ、思いやり、自己犠牲の精神、純粋さ、従順さ、謙虚さ・・・などです。実は社会に出てから役に立つのは、こちらの「賢さ」の方です。
四コマ漫画でも描きましたが、子どもは親の背中を見て育ちます。私も子どもが見習いたくなるような「賢い」親になれるよう、自らを省みて子育てに励みたいと思いました。
最後に、人間性を育てるという意味では、ペットを飼うのは最適ですよね。たまごっちみたいな育成ゲームなら放っておいても構いやしませんが、わが家の愛犬ラッキーはそうはいきません。
毎日ご飯を食べないと死んでしまいますし、お散歩にいかないとストレスがたまって病気になります。だから面倒くさくても、子供たちにはエサやりさ散歩をしっかりとさせます。そういったことからも、優しさや責任感などの「人間としての賢さ」を学んでほしいと思っています。

ポコラキより新年のご挨拶





みなさま、新年あけましておめでとうございます。
顔も名前もわかりませんが、こうしてブログでつながっている仲間に新年のご挨拶をするのも何か新鮮ですね。でも、みなさんのブログを読んでいると、その人それぞれの個性や心内がよく伝わって来て、旧知の仲のような気にもなってくるから不思議です。それがブログの面白いところでもあります。
今年は、目標の100話が見えてきました。気負うことなく、そして、みなさんの書かれるブログを楽しみにしつつ、今年もブログを続けていきたいと思います。
みなさまにとって、2024年もどうぞよい年でありますように!
今回は豪華二本立てで、4年前のお正月に作った四コマ漫画も紹介します。この頃は、まだラッキーではなく、ジャンガリアンハムスターのポッコを飼っていました。もともと、このブログはハムスターブログだったんですよね。





2023年今年の漢字は「税」に決定





今年の漢字は「税」に決定
毎年、清水寺でお坊さんが、今年を象徴する漢字を大きい筆で一文字書くのが恒例行事になっていて、ニュースでも話題になります。
今年を表す漢字は「税」だとか。たしか2014年、消費税が17年ぶりに5%から8%に引き上げられた年も「税」が選ばれていました。

今年は、何か具体的に増税があったわけではありませんが、物価の高騰で消費税が家計を直撃したり、フリーランスの方々は、インボイス制度の導入で実質の増税になったりと、重税感を感じた年ではあったのは確かですよね。
うちの主人は普通の会社員ですが、給料明細をみると「所得税」「住民税」「健康保険」「厚生年金」「介護保険」などなど、実に支給額の20%以上が差し引かれています。
「『厚生年金』は税金ではない」といいますが、日本の厚生年金は積み立て方式ではなく「賦課方式」。賦課方式は、年金支給のために必要な財源を、その時々の保険料収入から用意するため、現役世代から年金受給者世代への仕送りに近いイメージです。だから、自分で納めた厚生年金は、その金額が戻ってくるわけではないんですよね。さらに厚生年金で集めたお金を、国は別の用途で使いこんでいるのですから、これはやはり税金と言うべきでしょう。
わが家の漢字は「悦」
言葉の力で「税」という字をいているだでけ重たくなってくるので、「のぎへん」を「りっしんべん」に変えて、わが家の漢字は悦びの「悦」に変更!
「のぎへん」は「稲」などの漢字で使われる通り、昔はお米を年貢に収めていたことからも「税」という漢字の部首にも充てられているのでしょうね。
ちなみに「りっしんべん」は「心」という漢字が部首になったものです。現実をみると、なかなか世知辛い世の中ですが、心の中まで貧しくなってはいけません。小さなことにも「悦び」を見出す「足ることを知る幸福」。小欲知足はお釈迦様の教えです。
今年はこれにて☆ポコラキ☆のブログを終了いたしますが、また来年もよろしくお願いいたします。みなさまもどうぞよいお年を!
高島屋のクリスマスケーキと信用について





高島屋のクリスマスケーキ問題
ニュースで大変な話題になってしまった高島屋のクリスマスケーキ。事前に2900個の予約を受け付け、22日~25日のクリスマス時期に届けられましたが、「ケーキが崩れていた」との苦情が25日8時までに900件以上も寄せられたそうです。
このケーキは横浜市のフランス料理店「レ・サンス」が監修したもので、そのお値段は5400円。決して安い買い物ではないはずですが、クリスマスを最大に盛り上げようと、ケーキを注文していた家族や恋人たちにとっては、なんともやるせない出来事ですよね。
また、おいしいケーキを届けたいと思っていたケーキ職人の方々も、さぞ悔しい思いをしていることと思います。
そして、一番の大打撃を受けているのが高島屋でしょう。高島屋といえば、これまでの歴史のなかで信用を築き上げてきた老舗のデパート。その信用でお客さんがついていた筈ですが、今回の件でその信用は一気に崩れ去りました。
信用を築き上げるには多くの時間がかかりますが、それを失うのは一瞬です。そんなの割に合わないと思うかもしれませんが、だからこそ、信用がある人は稀有な存在で、どこへいっても通用するのだと思います。
数年前には、老舗の料亭・船場吉兆が料理の使い回しをしていると内部告発があり廃業しました。伊勢参りのお土産で有名な赤福餅も賞味期限を偽装していたとして窮地に立たされました。最近ではビックモーターが大変な問題となり会社としての信用を失っています。実は、会社にとっても信用は一番大事なもので、信用一つで会社は発展もし倒産もしてしまいます(銀行からお金を借りられるのも信用があってこそですものね)。
これから高島屋がもう一度信用を取り戻すためには、今回、不良品を届けてしまったお客さんへの誠実な対応と、原因究明とその説明責任だと思います。崩れてしまった信用は、もう一度ゼロから積み上げていくしかありません。大変な道のりかと思いますが、それをやってこそ、今まで信用して支持してくださったお得意さんへの誠意のみせどころだと思います。
人生は信用で成り立っています。「信用、信用、また信用」ですね。
おことわり
ちなみに、わが家のラッキー君は、四コマ漫画で描いたような「いたずら」はいたしません。四コマ漫画はフィクションですのでここにお断り申し上げますw。


ダーウィンの進化論を疑ってみた





ダーウィンの進化論への違和感
世界でもっとも有名な仮説といっても過言ではないダーウィンの「進化論」。
小さい頃に読んだ図鑑にも、猿から人間に進化する絵が図解されていました。
普通の子どもなら「そういうものだ」と受け入れるのでしょうが、私は子ども心に何か違和感を感じていたんですよね。
その違和感とは・・・

考えてもみれば不思議じゃないですか?
進化の最初の「猿」と、最後の「人間」は存在していますが、その間の「猿人」がいないんですよね。
「それは、長い間かけて人間に進化しきったからだ」という意見も出そうですが、それならば、最初の猿はいなくなってもおかしくないですよね。
もちろん、科学や進化論全部を否定しているわけではないんです。
たとえば、空を飛んでいたペンギンが、外敵から身を守ったり、エサを求めて水の中を泳げるようになったりする「進化」は当然あると思います。また、使わなくなった能力が退化することもあるでしょう。
ペンギンの場合は、今の形に進化しきっているので、空を飛べるペンギンはもういませんよね。

また別の例をあげると、犬のサモエドが品種改良されてポメラニアンになったようなことも、ある意味、進化といえば進化かもしれません。
この場合、サモエド → ジャーマン・スピッツ → ポメラニアンといったように、ちゃんと進化の「間」が存在しているんですよね。

だから進化論でも、ペンギンはペンギン、犬は犬といったように、同一種の中での進化は当然行われてきたと思いますが、「猿」が「人間」にはならないんじゃないでしょうか?!
やはり、ペンギンはペンギン、犬は犬、猿は猿、人間は人間として、神様はすべての生き物を「よかれ」と創造されたのだと思います。
こういう事をいうと、地動説が主流だった時代に天動説を説いたガリレオ・ガリレイのように、裁判で断罪されるかしら。魔女裁判にかけられたりして。
科学とは未知への探究
私は小さい頃から宇宙人も信じています。地球から見える範囲の夜空だけでも、2兆個の星々があるそうです。そんな大宇宙に、地球だけにしか生命がいないなんていうのも、逆に非科学的だと思いませんか。
進化論もあくまで現段階での仮設にしかすぎません。この大宇宙にはむしろ解明されていないことの方が多いし、科学とはそもそも「未知への探究」なのですから、子ども心に疑問に思ったことを大切に、謙虚に探究すべきなのではないかと思うこの頃です。
おまけ
ちなみに、ラッキーはお友だちを見つけると、二足歩行で「ぴょんぴょんぴょん」と歩くことができます(笑)。

【長寿のお祝い】喜寿(77歳)/傘寿(80歳)/米寿(88歳)/卒寿(90歳)/白寿(99歳)の名前の由来が洒落ていて面白い!





みなさん、今回も☆ポコラキ☆のブログに訪問して下さりありがとうございます。
当ブログも今回で88回目。何か「88」にちなんだ四コマ漫画を考えていたら、ふと高校時代に習った国語の先生の授業を思い出しました。
みなさんは、60歳の誕生日を祝う「還暦(かんれき)」ぐらいは聞いたことありますよね。赤いちゃんちゃんこを着て長寿をお祝いするのはお馴染みかと思いますが、実は、長寿のお祝いは、その先もまだまだあるのはご存知でしたか?

「還暦(かんれき)」は61歳(満60歳)のお祝いです。60年をかけて生まれた年の干支に還ることに由来します。長寿祝いの色は「赤」で、赤いちゃんちゃんこなどを贈ります。そこには魔除けの意味や、もう一度、赤ちゃんとして生まれ、新たなスタートを切るという意味もあるそうです。
「古希(こき)」は70歳のお祝いです。中国の詩人、杜甫の漢詩に登場する「人生七十古来稀なり」という一節が由来です。古来70歳まで長寿で生きることは”稀(まれ)”なことであったことから、「古稀」という漢字が当てられていましたが、近年では、70歳は初老の域で、まだまだ皆さんお元気ですよね。稀という漢字が常用漢字から外れていることもあって、最近では「古希」という漢字が使われるようになりました。
古希祝いの色は「紫」で、紫は古くから魔除けや心や体を癒す効果があると考えられています。聖徳太子の時代、冠位十二階の最高位の色も紫でしたので、紫は何か目上の人に対する尊敬の意味が込められているのかもしれませんね。
そして、ここからが高校時代に国語の先生が教えてくれた、ネーミングのちょっと洒落の効いた面白いお話です。
喜寿(きじゅ)の由来
「喜寿(きじゅ)」は77歳のお祝いです。還暦や古希などの長寿のお祝いは中国がルーツと言われていますが、喜寿は日本発祥のお祝いと言われています。それは、その名前の由来を知ると納得。
「喜」という漢字を草書体で書くと、七を三つ並べた漢字になり、「七十七」とも読めることから、77歳は喜寿となったそうです。

喜寿祝いの色は「紫」です。古くから魔除けや心や体を癒す効果があると考えられています。
傘寿(さんじゅ)の由来
「傘寿(さんじゅ)」は80歳のお祝いです。漢数字で八十と縦書きにすると「傘」の略字に似ていることからその名前がついたそうです。「八十寿(やそじゅ)」とも呼ばれています。

傘寿祝いの色は、高貴な色として使われてきた「黄色」や「金茶色」です。
米寿(べいじゅ)の由来
「米寿(べいじゅ)」は88歳のお祝いです。八十八という漢字を縦に並べてくっつけると「米」という漢字になることから、この名前がつきました。
昔から日本ではお米は年貢米など貴重なものであったので、その”貴重なもの”という意味で、私は「米寿」というのかなと勝手に推測していましたが、まったくのトンチでしたね(笑)。高校時代この話を聞いた時、「昔の人はなんて洒落が効いているんだろう」と感心したのを覚えています。

米寿祝いの色は、高貴な色として使われてきた「黄色」や「金茶色」で、特に黄色には秋に実る稲穂のイメージがあることから、米寿にはこの色が選ばれることが多いそうです。
卒寿(そつじゅ)の由来
「卒寿(そつじゅ)」は90歳のお祝いです。卒の漢字の略字が九十とも読めることからその名がつき、別名「卒のお祝い」とも言われています。

卒寿の色は「紫」や「白」です。紫は昔から高位な色とされ、白は純粋で無垢・神聖な色とされています。
白寿(はくじゅ)の由来
「白寿(はくじゅ)」は99歳のお祝いです。それこそ日本発祥のお祝いで、「百」から「一」を引くと「白」という漢字になることから、その名がつけられました。もはや、ここまでいくとクイズのレベルですよね。

白寿はその名の通り色は「白」。純粋で無垢、神聖な色とされています。
百寿(ひゃくじゅ・ももじゅ)の由来
「百寿(ひゃくじゅ・ももじゅ)」は100歳のお祝いです。一世紀を表す「紀寿(きじゅ)」ともいいますが、77歳の喜寿と響きが被るので、個人的には「ももじゅ」というのが好きです。
百寿の色も卒寿や白寿と同じく「白」です。最近では「ももじゅ」という読みから「桃色」を選ばれることもあるそうですが、桃は長寿を表す食べ物ともいわれ、永遠の理想郷も「桃源郷」などと呼ばれますので、私が100歳まで生きたら桃色でお祝いして欲しいなと思います!
最後に
いかがでしたでしょうか。こういった日本文化に触れるのも面白いですよね。
最近では、ハロウィンやクリスマスを祝う反面、お正月のおせち料理の意味や、七草粥、鏡開き、お盆・お彼岸の意味など、日本の風習がどんどん廃れていきますが、時折、日本人の教養として学ぶのもいいかもしれません。
【まだ間に合う!】Wordだけで簡単オリジナル年賀状づくり

気が付けば12月も半ばを過ぎ、「あっ!まだ年賀状つくってない!」なんてことは、毎年のことです。
郵便局で売っている市販のデザインは味気ないし、写真屋さんで注文するのもそこそこお金もかかって面倒くさい。今年は年賀状はやめてLINEですまそうか・・・なんて魔のささやきも聞こえますが、やっぱりお世話になった人への感謝の挨拶ですし、年賀状ってもらうと嬉しいですよね。
そんなに凝ったものでなくてもいいから、せっかくなら家族の写真とかを入れてオリジナル年賀状を作りたいという方もいると思います。
Photoshopやillustratorなど、専門のデザインソフトを使わずに、今日はWindowsのWordだけで、簡単オリジナル年賀状をつくっちゃいましょう!Wordソフトならば、だいたいWindowsが入っているパソコンを買った方なら、標準装備されているのではないでしょうか。
それではさっそく説明していきます。
まずは素材を集める
今回は、この年賀状を作っていきます。

まずは、フォルダーを作りましょう。フォルダーを作る場所はディスクトップでもどこでも、自分が分かりやすい場所でOKです。
フォルダー名は「年賀状2024」などにして、その中に「年賀状デザイン」「素材」などさらに2つにフォルダーを分けると整理がしやすいですよ。

お気に入りの写真を選ぶ
次に素材を集めます。今回使った素材は3つだけです。

素材①の年賀状デザインに2つ写真を入れるところがあるので、今回は2つの写真を選んでみました。選ぶ素材によって、3つ、4つ写真が入るものもありますので、素材に応じて写真を選んでください。
今回はラッキーのお気に入り写真2枚です。1枚は家族写真、1枚はペットの写真など選んでもいいですよね。選んだ写真は、フォルダー「年賀状2024」→「素材」に保存しましょう。
イラストACで年賀状のデザインを選ぶ
次に、素材①年賀状のデザインを選びましょう。今回は「イラストAC」というフリーで色々な素材が使える、とても便利なサイトをご紹介します。
イラストACは、プロ、アマ問わず、たくさんのデザイナーさんが自分のデザインを登録しているサイトで、お気に入りのデザインをダウンロードすることで、それをクリエイトしたデザイナーさんにお金が入る仕組みです。
イラストACには、無料会員とプレミアム会員(有料)の2つがあります。無料会員の場合は、1日の検索数やダウンロード数に上限があったり、ダウンロードの際には広告を視聴しないといけないなど制限がありますが、私が使っている感じでは、無料会員でも充分に問題なく使えると思います。本格的にやりたい方は、プレミアム会員(月額1277円)もお勧めです。

今回、無料登録の細かい説明は省きますが、メールアドレスなど必要な情報の登録を済ませれば、その日からすぐに使えますので、ぜひ登録してみてください。
登録したらログインして、早速使ってみましょう。

上の図のように、検索バーが出てきますので、そこに「年賀状2024」と打ち込んで検索ボタンを押すと、何百、何千という本当にたくさんのデザインが出てきます。
ちなみに、無料版だと1日に4回しか検索できないので注意してください。4回の検索だとすぐに終わってしまいます。この辺が無料版の不便なところではあります・・・。

今回は、ピンクの背景で龍もデザインされているお正月らしくて可愛いデザインを選んでみました。
お気に入りのデザインが見つかったら、クリックすると以下が画面が出てきますので、ダウンロードボタンを押して下さい。

無料版の場合は、CMを15秒見なければいけなかったり、5つのイラストの5段階評価を求められたりしますが、無料で使わせていただくので、しっかりと公正に評価してあげましょう。
CMなどが終わると、ダウンロードができる画面に映ります。

この時に、「JPEG」「PNG」「AI」と3つのファイルが選べますが、今回の場合は必ず「PNG」を選んでください。「PNG」を選ばないと、後ろに配置した写真が見えなくなってしまいます。
JPEG・・・背景が白
PNG・・・背景や、写真を入れる枠中などが透明で抜けている
AI・・・illustrator用

お気に入りの素材が選べたら、フォルダー「素材」に保存してください。
さあ、年賀状をつくろう
Wordの用紙サイズの設定
さあ、ではいよいよWordで年賀状を作っていきましょう。まず、Wordを開いて新規作成(白紙の文書)を選びます。

続いては、上部バーの「レイアウト」→「サイズ」→「郵便ハガキ」を選んで、用紙サイズを決定します。

写真や素材の挿入
用紙の設定が終わったら写真を挿入していきましょう。
「挿入」→「画像」→「このデバイス」を選び、自分が先ほど写真と素材を保存したフォルダーから写真を選び挿入します。

画面を2画面にして、写真をドラック&ドロップでも挿入できますよ。

写真や素材の設定
さあ、挿入ができたらここからが大切な所です。挿入しただけでは、写真が固定されていて、場所の移動も、大きさも自由に変えられません。そこで次の設定が重要です。
まず、写真を右クリックして、以下の設定を選んでください。今回の場合、写真素材が「背面」で、年賀状デザイン素材が「全面」にくるようにします。
①写真右クリック
②文字列の折り返し
③背面

これで自由に写真の大きさや、場所の移動ができるようになります。
大きさの変更は、ポイントをドラックして変えられますが、ドラックする位置によって縦横比率が変わってしまうので気を付けましょう。

これと同じ作業を、写真②、素材①でもしてください。ただし、素材①は写真の上に配置したいので、以下の設定になります。

トリミング
これで、すべての素材がWordの紙面上に載りました。でも、写真を配置していると、写真と写真が重なってしまう問題が起きることがあります。こんな風に。

その場合はトリミングという機能が便利です。
写真を右クリックすると、「トリミング」というアイコンが出てきますので、そこをクリックしてください。

トリミングをすると、使わない箇所が透明になってくれます。これで、写真が重なることもなさそうです。

トリミングをしたら、写真の位置と、素材①(年賀状素材)の位置を調整すれば完成です。写真位置の調整はかなりアナログですが、そこはWordなので仕方ないですね。

文字を入れよう
さあ、年賀状のデザインが完成しました。あとは、手書きで感謝の言葉を一筆いれてもいいですが、枚数が多いと一筆書くのもひと苦労ですよね。そこで、定型のご挨拶文であれば、文字を打ち込んでしまった方が楽です。
文字を入れるのはワードアートという機能を使います。
上のバーの「挿入」→「ワードアート」を選択してください。

ワードアートを押すと、テキスト(文字)を打ち込める枠が紙面に出てきます。

最初に出てくる文字は、大きさもかなり大きく設定されているので、枠内を右クリックをして、文字の大きさ、文字の種類、色、場所などカスタマイズしましょう。

細かい設定が色々あるので、ここは自分でいじりながら機能を覚えて行った方が分かりやすいと思います。
今回私は、「ラッキーが家族になりました!今年もよろしくお願いします。」といメッセージを入れてみました。
文字設定はこんな感じです。
①文字サイズ9pt
②ポップ文字
③青文字
④左よせ

Wordで年賀状が完成しました。あとは、忘れずに「年賀状2024」→「年賀状デザイン」の中に保存しましょう。
いかがでしたでしょうか。これから年賀状を作らなければと焦っている方、まだ間に合います。せっかくならば、簡単にオリジナル年賀状を作ってみませんか!
お断り)
今回の四コマ漫画はお休みです。
また次回をお楽しみに!
山本有三『路傍の石』を読んで





先日、山本有三『路傍の石』を読み終えました。いろいろと感じるところがあったので、今回は書評ブログを書かせていただきます。昭和55年発刊の作品なので、私が小学生の時には、かろうじて国語の教科書に載っていたかもしれませんが、今は知らない人の方が多いでしょうね。
大学の受験勉強で、文学作品とその著者名だけは、たくさん覚えさせられた記憶がありますが、本は読まずじまい。いつか、これらの文学作品を読破してみたいと思い続けて、これまでコツコツと読書をしてきましたが、先日、やっと『路傍の石』を読むことができました。
若かりし頃、「純文学って何でこんなにつまらないのだろう」と正直思っていましたが(笑)、不思議なもので、歳を重ねると純文学の面白さ、深みが分かってくるようになりました。その理由の一つには、この当時の作家さんたちの教養が深いため、大学生でも文章が難しいんだろうと思います。そして2つ目の理由は、自分も様々な人生経験を通すことで、自分の経験から得た智慧と相照らして読めるようになったからだと思います。
時代背景は古い作品ですが、現代に焼き直して読んでみると、ある意味「親ガチャに外れた子どもが、どう力強く生きて行くか」という風に読めなくもありません。作品全体を通して、「同じ環境にあっても、生き方は人それぞれ」と考えさせられる作品でした。

あらすじ
時代は明治20年~40年頃の日本。明治維新で封建社会が崩壊し、欧米列強に追いつけ追い越せと、一流国家を目指し新しい価値秩序のもと国全体がもがいていた時代。士農工商では下の身分だった商人(資本家)が台頭し、士族は没落していく。
主人公の愛川吾一も、そんな時代の間に士族の家に生まれ、士族のプライドを捨てられず裁判闘争にあけくれる父親のもと、母親と極貧の生活を強いられる。
幼くしての丁稚奉公、母親の死、そして一人東京へ――。誰にも頼ることを許されず、その名の通り「吾(われ)一人立つ」と、経済的にも精神的にも自立した人間になろうと努力する吾一少年のひたむきな姿を描いた作品。
主人公吾一の青年期を躍動的に描いた六章を「路傍の石・付録」として併せ収める。
現代社会にこれをどう読み解くか
この作品が発刊されたのは、もう40年以上も昔なので、時代背景的にも共感できるところが少ないと思いきや、現代社会にも通じる社会問題が提議されていました。それは「親ガチャ」という問題。
「親ガチャ」という言葉は、2021年の流行語大賞にもノミネートされるほど、各方面で取り上げられましたが、その意味は「子どもがどんな親のもとに生まれるかは運任せであり、家庭環境によって人生を左右されることを、スマホゲームの「ガチャ」に例えた」ものです。
一見、現代は自由と平等の社会に見えながら、実は隠れた格差社会が存在するという揶揄でもあろうかと思います。ワーキングチルドレンの問題も、結局はこの親ガチャの問題に直結していると言えると思います。
しかし、この作品は、「親ガチャ」にはずれたそんな子にこそ読んで欲しい作品だと思いました。たしかに、不幸な環境に生まれたことは同情の余地はあるし、国の制度として支援することは大切だと思いますが、結局は「環境を恨んでも何も変わらない」ということを、主人公の吾一は教えてくれます。
毒親の元に生まれて、子どもに「自己責任」を押し付けるのは酷な話かもしれませんが、でも考えてみれば「自己責任」という言葉は、ある意味、救いの言葉でもあると思うのです。もし「自己責任」がないならば、生まれた環境は変えられず、そのまま甘んじなければいけませんが、すべてを自分の責任下に置いた時に、自分の力で、努力で、判断で変えていくことが可能となるからです。
古今東西、貧しい環境から成功者になっていく人のマインドは、結局はこの「自己責任」。この作中には「かんなん なんじを玉にする」というセリフが出てきますが、艱難(苦難困難)こそ、なんじを珠(昔でいう宝石)にするというのが、この作品を貫くテーマです。
未完結の作品
読み進めていくと、途中「ペンを折る」という章があり、実はこの作品は未完結の作品であることを知りました。
この作品が雑誌に連載されていたころは、日中戦争が勃発したその最中にあり、思想統制があり、内容に対する検閲も厳しかったようです。主人公の吾一のように、純真な心をもつ作者にとっては、自分で心にも思っていないようなことは書けなかったのでしょうね。作者の懺悔の言葉とともに、この作品は吾一の「これから」という所で終わってしまいますが、山本有三作品のファンになった読者としては、本当に残念でなりません。
路傍の石とは何だったのか
作者は『路傍の石』というタイトルにどんな思いを込めたのか。結局、作者は戦争が終わっても続きを書くことはなく、その真意は分からないままです。
しかし、私は自分の願望も込めて『路傍の石』の意味を考察してみると、「路肩に蹴とばされても、その輝きが本物であれば、必ず誰か拾い上げてくれる人がいる」という事ではないかと思いたい。
この作品の最後を読むことは今となっては叶わぬことですが、吾一が艱難を乗り越えた末、玉となるハッピーエンドを信じてやみません。
影遊びラッキーを探せ!





(答えはブログの一番最後に!)
今年の12月は天気がよくて暖かい日が続きました。例年、冬は犬の散歩に行くのも億劫になるものですが、こんなに日差しがいいと、むしろ散歩が最高の気晴らしになります。
先日は主人と一緒にラッキー散歩をしながら、途中、コンビニに寄り道をしてアイスコーヒーを飲みながら帰ってきました。こんなささやかなことでも、とても幸せに感じます。
散歩している途中、ラッキーの影があまりに可愛かったので1写真をパチリ。舌を出しているところまで、くっきり影に映っています。

今回の四コマ漫画は、散歩をしながらラッキーの影探しを思いつきました。スマホで見ている人は、意外と最後の4コマ目が探すのが難しいかもしれませんよ~。
小さいお子さんがいる方は、お子さんと一緒にひまつぶしにどうぞやってみてくださいね。
それでは答えはこちら!



車のガソリンの給油口が左右どちらにあるか一発で見分ける方法

突然ですが、ガソリンスタンドに入って、咄嗟にガソリンの給油口が左右どちらについているか分からないことありませんか?
さすがに、いつも乗っている自分の家の車なら習慣で分かりますが、たまに実家に帰って両親の車を運転したり、旅行先でレンタカーを借りたりすると、給油口が逆についていることも多く、わざわざバックしてガソリンスタンドに車を入れ直すなんてことも3~4回あります。
ガソリンスタンドに従業員の方がいれば、給油口を確認して誘導してくれますが、最近はセルフサービスの所がほどんどで、こうした些細なことでも困ったしまいます。「どうして各自動車会社が相談をして企画を統一してくれないのかね」なんて友人に愚痴をこぼしていたら、その友人が一発で見分ける方法を教えてくれました。
運転席のメーターが並んでいる所に、ガソリンの残量を示すメーターがありますよね。その近くにガソリンスタンドのロゴってありませんか。そう、こんなやつです。

ガソリンスタンドのロゴの横を見て見ると、三角のマークがあります。これが、給油口のある方向を示しています。上の場合だと、三角の印が右を差しているので、給油口は右側についています。

逆に、三角の印が左を差していれば給油口は左についています。
みなさん、ご存じでした?!こんなこと、教習所では教えてくれなかったし、車に20年以上乗っていますが、私ははじめて知りました!!!意外と、車の表示や機能って知らないことも多くて、本来の車の性能の70%くらいしか使えてないのではと思ってしまいました。
ちょっとしたことですが、知っていると便利なのでブログに書いてみました。お役立ち頂ければ幸いです。
さて、ここからはいつもの四コマ漫画をお楽しみください。





うちの愛犬ラッキー君は、車に乗るとすぐに酔ってしまいます。本やブログでその原因を色々調べてみると、人間よりも鼻が利くので、ガソリンの匂いなど刺激臭で酔ってしまうこともあるのだとか。
今は動物と一緒に泊まれるホテルなんていうのも全国にあるので、いつかはラッキーと一緒に家族旅行するのが夢ですが、今のところ、ご近所に買い物に行くだけでもダメみたいです。だからラッキーはいつもお留守番。

お留守番つまんないな・・・

実家のさざんかが満開でした

春の日差しのような12月
【仏教説話】地獄のお箸はすごく長い





今日は、とある有名は仏教説話をご紹介します。
仏教説話「三尺三寸箸」
昔、ある所に、地獄と極楽の見学に出掛けた男がいました。最初に、地獄へ行ってみると、そこはちょうど昼食の時間でした。食卓の両側には、罪人たちが、ずらりと並んでいます。
「地獄のことだから、きっと粗末な食事に違いない」と思ってテーブルの上を見ると、なんと、豪華な料理が山盛りにならんでいます。それなのに、罪人たちは、皆、ガリガリにやせこけている。「おかしいぞ」と思って、よく見ると、彼らの手には非常に長い箸が握られていました。恐らく1メートル以上もある長い箸でした。
罪人たちは、その長い箸を必死に動かして、ご馳走を自分の口へ入れようとするが、とても入りません。イライラして、怒りだす者もいる。それどころか、隣の人が箸でつまんだ料理を奪おうとして、醜い争いが始まったのです。
次に、男は、極楽へ向かいました。夕食の時間らしく、極楽に往生した人たちが、食卓に仲良く座っていた。もちろん、料理は山海の珍味です。
「極楽の人は、さすがに皆、ふくよかで、肌もつややかだな」と思いながら、ふと箸に目をやると。それは地獄と同じように1メートル以上もあるのです。
「いったい、地獄と極楽は、どこが違うのだろうか?」と疑問に思いながら、夕食が始まるのをじっと見ていると、その謎が解けました。極楽の住人は、長い箸でご馳走をはさむと、「どうぞ」と言って、自分の向こう側の人に食べさせ始めたのです。にっこりほほ笑む相手は、「ありがとうございました。今度は、お返ししますよ。あなたは、何がお好きですか」と、自分にも食べさせてくれました。
男は、「なるほど、極楽へ行っている人は心掛けが違うわい」と言って感心したという話です。
三尺三寸箸(仏教)丨なぜの極楽(天国)の箸は長く地獄の箸は短いのか - 仏教辞典
娘のほっこりエピソード
なせ、今回この話をブログに書こうと思ったかというと、先日、小学5年生の娘のほっこりエピソードがあり、ふっとこの話を思い出したからです。
わが家で「こたつ」を買った話は以前ブログで紹介しましたが、こたつを買うと「やっぱり座イスも欲しいね」という話になり、Amazonのブラックフライデーのセールに合わせて座イスを買うことにしました。
色々と検索をして気に入った座イスが見つかったのですが、値段もそこそこしたので、とりあえず2脚だけ買うことにしました。
そして、ある日の夕方、私と娘で座イスに座ってこたつでくつろいでいると、その日はパパの仕事が早く終わったらしく、夕飯前に帰ってきました。
「あっ、パパが帰って来た」と娘が言うと、二階に上がりどこからか座布団をぴっぱり出してきました。
「パパのために座布団を用意するなんて優しい子だな」と思っていたら、「パパは座イスに座っていいよ」と、今まで自分が座っていた席をゆずり、自分は座布団の方に座り直しました。
「人には親切にしなさい」とは口では教育してきましたけど、なかなか自然にできることではありませんよね。我が子ながら立派だなと思いました。そういえば、うちのパパも、例えばショートケーキがあったら、メインのイチゴから「これ食べる?」と人にあげちゃうようなタイプの人で、そういった親の姿を見ていたのかもしれませんね。
「与える愛」の大切さは、言葉ではなく「温もり」で伝わっていくのだと思ったエピソードでした。
【もう嫌!ブログを書きたくない】やる気が出ない人への3つの処方箋





「やる気が出ない人」というタイトルを見て、「私のことだ!」と思った人はいるのではないでしょうか。
でも、ご安心ください。それは決してあなただけではありません。あるwebマガジンの実態調査によると、男女200人に「なにもやる気が起きない時はある?」という質問をした結果、87%の人が「ある」と答えているそうです。
自分のことを振り返っても、「今日は朝から調子がいい」なんて日は稀で、何らか「体調が悪い」「気分が乗らない」「ただ眠い」なんて日が1年のほとんどだったりして。
でも、そんな言い訳をしていてもやる気は天から降ってきませんから、なんとか自家発電をして、人生3万日のうち、黄金の日を増やしていきたいものです。
ブログを書いていても、誰にでも訪れる「やる気が出ない」という壁。ブログをはじめた人のうち、実に9割の人が1年以内に止めてしまうという現実をみると、この壁を乗り越えるのは、なかなか大変そうです。
かく言う私も、2019年にブログをはじめて3ヵ月で止めてしまいました。そして、3年のブランクを置いてまた再開した経験から、やる気が起きない原因とその処方箋を考えてみました。
第一の原因:面倒くさい
まず、一番オーソドックスな原因は「面倒くさい」ということではないでしょうか。よく、「三日坊主」なんて言われるのも、この面倒くさいというのが原因です。
面倒くさいという気持ちは、自分の子供を見ていてもよく分かります。学校から帰って来て、おやつを食べて「さあ、宿題をするか」と思いきや、本を読み始めたり、愛犬ラッキーにちょっかいを出したりと、なかなか宿題をする気配がありません。
また、夕食後のお風呂では、お兄ちゃんと妹の間で「先に入っていいよ」と押しつけ合いの喧嘩がはじまり、「どっちでもいいから、さっさと入っちゃいなさい!」とママが怒鳴るのは日常茶飯事です。
宿題も日常生活の諸事も、「やらなきゃいけない」と分かっていても、この義務感が逆に億劫になるんですよね。
ブログも最初のうちは楽しいのですが、「週3日更新!」なんて目標を立てて、それが「義務感」になってくると、だんだんと億劫になってきます。
では、やらなきゃいけないのにやる気が起きない時はどうしたらいいのでしょうか。その処方箋をお届けします。
処方箋1:最初の一鍬(ひとくわ)を入れる
例え話で、「畑を耕し始める際、最初の一鍬を入れたら、あとは、耕し続けることはそんなに難しいことではないけれども、最初の一鍬がとても難しい」という話があります。
これは、受験塾なんかでもよくいわれることで、家に帰ってまず10分机に座る習慣のある子は、1時間でも2時間でも勉強を続けることができ、結果成績も上がるというのです。
確かに、何かをはじめようとする時、その初動が一番重くて、はじめてしまえば意外に気分が乗って来て楽に続けられるなんて経験、誰でもしたことがあるのではないでしょうか。気持ち的には、最初の一鍬を入れるところが出来れば、8割方「面倒くさい」は克服できると思います。
処方箋2:習慣の力を使う
この「最初の一鍬」を、楽々とやれるような自分のマインドをつくっていくには、習慣の力にまで持っていくことが大切です。
はじめは意思の力が必要かもしれませんが、ブログでも「最初の1行だけでも書く」、「10分間だけPCに向かってみる」ということを、3日、3週間、3ヵ月と続けられれば、最初の一鍬を入れるということについて習慣化し、あとは気分に乗せてブログを書くこともできると思います。
ここで、私の好きな名文章があるので併せてご紹介します。
私はすべての偉大な人物の召使である。
そして、悲しいかな、すべての破綻者の召使でもある。
偉大な人物は、私のおかげで偉大になることができたのであり、
破綻者は、私のせいで破綻に追い込まれたのだ。
私を利用し、鍛錬し、毅然とした態度で接すれば、
私は世界をあなたの足元にひざまずかせてみせよう。
私をおざなりにすれば、私はあなたを破滅に追い込むだろう。
私はなんであろう、習慣である!
第二の原因:目標が定かでない
やる気が出ない第二の原因として、「目標が定かでない」ということを上げたいと思います。
人は意外と、人生の要所で現れる大きな問題に対しては立ち向かっていけるものですが、平凡な毎日の中に敗れていくことが多いのが現実だと思います。大きな問題が立ち現れた時は、それを解決するということ自体が目標となり、人生に張り合いが出てきます。そういった意味で、人生に張り合いがない(目標がない)というのが、やる気が出ない大きな要因の一つではないでしょうか。
私がブログを止めてしまった失敗談をまた振り返ってみると、実は「目標」は持っていました。ただ、「目標が定かでない」というのが失敗の原因だったと反省しています。
ブログをはじめた当初は、色々な記事を読み漁り、「月間1万PV、収益10万円!」なんて大きな理想を描いていましたが、みなさんもブログをやってみてお分かりの通り、そんなに簡単な話ではありませんよね。
ブログ初心者あるあるだとは思いますが、目標とは言えない大きな理想を描き、その理想と現実のギャップに、やる気がどんどん削がれていくのが正直なところです。
処方箋3:目先のニンジンをぶら下げる
そんな、「目標が定かでない」という人に対しての処方箋は「目先のニンジンをぶら下げる」ということです。
嘘か本当かは分かりませんが、馬の目の前にニンジンをぶら下げると、やる気のない馬でも走り出すなんて話もありますが、要は手頃な目標です。ここで大事なのは、手頃な目標というところです。
先程も述べたように、人は人生に張り合い(目標)がないとやる気が起きないものです。しかし、その目標が大きすぎてもやる気が削がれてしまうため、目標を細分化して、達成感を味わうことが長続きの秘訣です。
ブログの記事で「まずは100記事、半年続ける」なんてことが書いてありますが、これですら、私にとっては大きな目標でした。40記事を書いた段階で、自分なりにはかなり頑張っていましたが、100記事ははるか遠く、まだ半分すら行っていない?!目先のニンジンが遠すぎて見えなかったんですよね。
だから、再開した今回は20記事ごとに目標を定めて達成感を味わうようにしています。そうすると気が付けば今回で82記事目。3年のブランクを置いて4年目にして、ようやく100記事が目の前に見えてきました。

処方箋4:自分のブログに価値を見出す
また、「目標が定かでない」という意味では、「何のためにブログを書いているのか」という根本的な問題も無視できないと思います。
ブログをはじめたきっかけは「自分の趣味を共有したい」「副業を得たい」「文章を書くのが好き」「誰にも言えない愚痴を吐露したい」など人それぞれだと思いますが、やはり自分のブログに価値が見いだせないと続けるのは辛いですよね。
「素人が書いた雑記ブログに価値なんてあるのだろうか・・・」と思うこともよくありますが、私は人のブログを読むのも好きで、どなたのブログを読んでいても、その人なりの味があり、個性があり、生き様が感じられ、どれも大変価値のあるものだと思います。
つい読者数が増えなかったり、PV数が一桁だったり、収益がゼロだったりすると、このブログは必要とされていないんじゃないかなんて思ってしまいますが、この際、客観的な評価は無視しましょう。自分のブログに価値が感じられなくなり、やる気が起きなくなったら、原点回帰して第1回目に投稿した時の気持ちを思い出しましょう。
私は子どもの頃からマンガや物語を作るのが夢だったで、その一旦なりともこのブログで夢の実現ができているのがモチベーションになっています。副業ではじめたという人は、文章を書いて1円でも入ればそれはプロの第一歩。愚痴だけ書いているブログだって、本当は同じように思っている人も多くいて、代弁してくれることで心が救われている人もいるはずです。自分のブログの価値の再発見をすると、またやる気が湧いてくると思います。
第三の原因:バーンアウト
そして、やる気が起きない第三の原因はバーンアウトです。バーンアウトとは、燃え尽き症候群とも言います。これは、やる気が起きないというよりは、やる気がありすぎてペース配分を間違え燃え尽きてしまったパターンですね。実はこれも私は実体験済みです。
昔の記事を読み返してみると、ブログをはじめて28日で21記事アップしています。それも当時は、2000文字以上書かなければグーグルアドセンスに合格しないなんてことも言われていて、正社員なみに”仕事”していました(笑)。
でも、蓄積がない人が頑張りすぎても、結局すぐにネタも尽きてしまって短距離走で終わってしまうんですよね。
やはり氷山のように、水面上に出ている部分は1割~2割で、その水面下に8割~9割の蓄積があってこそ、バランスが取れるというものです。
処方箋5:力が満ちるのを待つ
その水面下の蓄積とは、知識の蓄積、体力の蓄積、気力の蓄積など総合的なものだと思いますが、何より、バーンアウトしてしまった人は、すべてのエネルギーを出し尽くしてしまったのですから、そこはジタバタせず、エネルギーが満ちるのを待つのが、再びやる気を取り戻す一番の近道だと思います。
私も、ブログにリベンジした今回は、心の中から発信したいものがある時だけブログを更新するようにしています。だから、アップするタイミングもまちまちです。何も書く事がない時は、ラッキーの散歩をしながら、頭の中を空っぽにすると、不思議と色々なインスピレーションが降ってくることが多くあります。
頑張り屋さんの日本人には、バーンアウトして鬱になってしまう人も多いですが、そんな時は、コップに水が溜まってあふれ出すように、ゆっくりと休んで心が満たされるのを待つのは、人生の長距離ランナーの心構えかもしれませんね。

小学校にタブレット導入で子どもの学力が落ちないか心配している親御さんへ





先月、小学生の娘の授業参観に行ってきました。
参観したのは社会科の授業で、給食の食べ残しなど「食品ロス」について考える内容でした。
そこで時代を感じたのは、タブレットを使って授業をしていたこと。
「食品ロス」についてどう思うか、自分の意見をタブレットに書き込んで投稿すると、黒板横のテレビ画面に瞬時に反映され、みんなの意見が見られます。
そして、友だちの意見の中で「いいね」と思ったものに投票できる仕組みのようでした。
今の子たちが大人になる頃には、さらにAI時代が進んでいるでしょうね。
だから、小学校のうちからコンピューターの使い方の授業があること自体、必要なことだと思います。
でも、効率重視ですべてをペーパーレス化する流れには、私はどうも賛成できません。
そんなことを考えていたら、ある記事が目に止まりました。
デジタル超先進国スウェーデンがアナログ回帰
それは、
世界が目指したデジタル超先進国・スウェーデンが打ち出した新たな教育政策は、「紙への回帰」だった。
という記事でした。
スウェーデンと言えば、キャッシュレス化も完遂し、あらゆる行政手続きがネット上で行えるデジタル超先進国で、日本の河野太郎デジタル相もお手本と仰ぐモデル国家です。
教育分野でも2010年からすでに紙の教科書を廃止し、デジタル端末での授業を行っていました。
しかし、ある国際調査でスウェーデンの児童の読解力が低下していることが判明。
これを受け、昨年就任した教育相のロッタ・エドホルム氏は、デジタル教育が学力低下の主な原因だと主張し、「学生たちが勉強するには物理的な本が必要である」と、その教育方針の転換を表明、今年8月には、6歳未満の子供のデジタル学習を完全に廃止すると宣言しました。
日本が模範にしようとしている超デジタル先進国の教育は、今、アナログへの回帰をしようとしています。
年収2000万円レベルに人は手書き手帳
また、同記事ではさらに面白いことが書かれていました。
なんと、
1000人のビジネスマンを対象にしたある調査では、年収2000万円レベルの人はほとんど手書きの手帳にこだわっていた。
というのです。
対して年収200万円レベルの人は「スマホの方が便利」と紙を避けていて、明確に二分化されていたそうです。
手は第二の脳
私は前から学校教育のデジタル化に対しては、一定の理解はしつつも、何か危うさも同時に感じていました。
というのも、私自身、本を読むのが大好きで、一時期、紙の本はかさばるので電子書籍に切り替えようかと試みたことがあります。
結果、不思議なことに、電子書籍はまったく内容が頭に定着せず、また長時間タブレットの画面を見ているのが辛くなり止めてしまいました。
これは個人差はあると思いますが、多かれ少なかれ知識人の中でも言われていることです。
インターネットは、「情報」を集めるのには最適なツールです。
しかし、その「情報」が「知識」や「知恵」まで深まらないのが弱点です。
インターネットは、何か分からないことがあれば、すぐに検索して調べれば「答え」が出てきますが、本はそうはいきません。
本は数多くの書物をあったって調べても、なかなか「答え」には辿りつけず遠回りをしますが、実は、遠回りの過程で思わぬ情報に出会ったり、他の人が考えだした知恵に触れ感銘を受けるなんてことが多くあります。
本は、調べる人によって「答え」までたどり着く筋道が様々だからこそ、オリジナリティも生まれますが、インターネットの情報を参考にして書いた文章は、どの文章を読んでも一緒感が否めません。
また、紙の本は五感で読書ができるのが魅力的です。
目で読むのはもちろん、紙の手触り、1ページ1ページめくる音、新書の匂いと古本の匂いも違いますし、指をペロッとひと舐めしてページをめくる時に紙の味だって感じます。
私は本を読む時には赤ペンをもって、容赦なく線やその時思ったことを書きこんでいきますが、「手は第二の脳」とも言われるように、この書くという作業が思考を深めることにつながり、単なる「情報」を「知識」や「知恵」に高める役割を果たしています。
このように、五感すべてで読む読書は、深く記憶に定着するのを実体験しているからこそ、基礎学力をつける段階の小・中学生には、まだまだアナログで学んで欲しいと思っています。
スウェーデンの教育方針の転換があったように、日本もまだ実験段階だと思いますが、我が子を実験台に使われてはかないませんので、うちではしっかりと紙の本を読ませています。

お勧め参照記事『アナログ仕事が「ひらめき」を生む』