今日は、とある有名は仏教説話をご紹介します。
仏教説話「三尺三寸箸」
昔、ある所に、地獄と極楽の見学に出掛けた男がいました。最初に、地獄へ行ってみると、そこはちょうど昼食の時間でした。食卓の両側には、罪人たちが、ずらりと並んでいます。
「地獄のことだから、きっと粗末な食事に違いない」と思ってテーブルの上を見ると、なんと、豪華な料理が山盛りにならんでいます。それなのに、罪人たちは、皆、ガリガリにやせこけている。「おかしいぞ」と思って、よく見ると、彼らの手には非常に長い箸が握られていました。恐らく1メートル以上もある長い箸でした。
罪人たちは、その長い箸を必死に動かして、ご馳走を自分の口へ入れようとするが、とても入りません。イライラして、怒りだす者もいる。それどころか、隣の人が箸でつまんだ料理を奪おうとして、醜い争いが始まったのです。
次に、男は、極楽へ向かいました。夕食の時間らしく、極楽に往生した人たちが、食卓に仲良く座っていた。もちろん、料理は山海の珍味です。
「極楽の人は、さすがに皆、ふくよかで、肌もつややかだな」と思いながら、ふと箸に目をやると。それは地獄と同じように1メートル以上もあるのです。
「いったい、地獄と極楽は、どこが違うのだろうか?」と疑問に思いながら、夕食が始まるのをじっと見ていると、その謎が解けました。極楽の住人は、長い箸でご馳走をはさむと、「どうぞ」と言って、自分の向こう側の人に食べさせ始めたのです。にっこりほほ笑む相手は、「ありがとうございました。今度は、お返ししますよ。あなたは、何がお好きですか」と、自分にも食べさせてくれました。
男は、「なるほど、極楽へ行っている人は心掛けが違うわい」と言って感心したという話です。
三尺三寸箸(仏教)丨なぜの極楽(天国)の箸は長く地獄の箸は短いのか - 仏教辞典
娘のほっこりエピソード
なせ、今回この話をブログに書こうと思ったかというと、先日、小学5年生の娘のほっこりエピソードがあり、ふっとこの話を思い出したからです。
わが家で「こたつ」を買った話は以前ブログで紹介しましたが、こたつを買うと「やっぱり座イスも欲しいね」という話になり、Amazonのブラックフライデーのセールに合わせて座イスを買うことにしました。
色々と検索をして気に入った座イスが見つかったのですが、値段もそこそこしたので、とりあえず2脚だけ買うことにしました。
そして、ある日の夕方、私と娘で座イスに座ってこたつでくつろいでいると、その日はパパの仕事が早く終わったらしく、夕飯前に帰ってきました。
「あっ、パパが帰って来た」と娘が言うと、二階に上がりどこからか座布団をぴっぱり出してきました。
「パパのために座布団を用意するなんて優しい子だな」と思っていたら、「パパは座イスに座っていいよ」と、今まで自分が座っていた席をゆずり、自分は座布団の方に座り直しました。
「人には親切にしなさい」とは口では教育してきましたけど、なかなか自然にできることではありませんよね。我が子ながら立派だなと思いました。そういえば、うちのパパも、例えばショートケーキがあったら、メインのイチゴから「これ食べる?」と人にあげちゃうようなタイプの人で、そういった親の姿を見ていたのかもしれませんね。
「与える愛」の大切さは、言葉ではなく「温もり」で伝わっていくのだと思ったエピソードでした。