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山本有三『路傍の石』を読んで

イラスト:イラストAC

先日、山本有三『路傍の石』を読み終えました。いろいろと感じるところがあったので、今回は書評ブログを書かせていただきます。昭和55年発刊の作品なので、私が小学生の時には、かろうじて国語の教科書に載っていたかもしれませんが、今は知らない人の方が多いでしょうね。

 

大学の受験勉強で、文学作品とその著者名だけは、たくさん覚えさせられた記憶がありますが、本は読まずじまい。いつか、これらの文学作品を読破してみたいと思い続けて、これまでコツコツと読書をしてきましたが、先日、やっと『路傍の石』を読むことができました。

 

若かりし頃、「純文学って何でこんなにつまらないのだろう」と正直思っていましたが(笑)、不思議なもので、歳を重ねると純文学の面白さ、深みが分かってくるようになりました。その理由の一つには、この当時の作家さんたちの教養が深いため、大学生でも文章が難しいんだろうと思います。そして2つ目の理由は、自分も様々な人生経験を通すことで、自分の経験から得た智慧と相照らして読めるようになったからだと思います。

 

時代背景は古い作品ですが、現代に焼き直して読んでみると、ある意味「親ガチャに外れた子どもが、どう力強く生きて行くか」という風に読めなくもありません。作品全体を通して、「同じ環境にあっても、生き方は人それぞれ」と考えさせられる作品でした。

 

 

 

あらすじ

時代は明治20年~40年頃の日本。明治維新で封建社会が崩壊し、欧米列強に追いつけ追い越せと、一流国家を目指し新しい価値秩序のもと国全体がもがいていた時代。士農工商では下の身分だった商人(資本家)が台頭し、士族は没落していく。

 

主人公の愛川吾一も、そんな時代の間に士族の家に生まれ、士族のプライドを捨てられず裁判闘争にあけくれる父親のもと、母親と極貧の生活を強いられる。

 

幼くしての丁稚奉公、母親の死、そして一人東京へ――。誰にも頼ることを許されず、その名の通り「吾(われ)一人立つ」と、経済的にも精神的にも自立した人間になろうと努力する吾一少年のひたむきな姿を描いた作品。

 

主人公吾一の青年期を躍動的に描いた六章を「路傍の石・付録」として併せ収める。

 

 

現代社会にこれをどう読み解くか

この作品が発刊されたのは、もう40年以上も昔なので、時代背景的にも共感できるところが少ないと思いきや、現代社会にも通じる社会問題が提議されていました。それは「親ガチャ」という問題。

 

「親ガチャ」という言葉は、2021年の流行語大賞にもノミネートされるほど、各方面で取り上げられましたが、その意味は「子どもがどんな親のもとに生まれるかは運任せであり、家庭環境によって人生を左右されることを、スマホゲームの「ガチャ」に例えた」ものです。

 

一見、現代は自由と平等の社会に見えながら、実は隠れた格差社会が存在するという揶揄でもあろうかと思います。ワーキングチルドレンの問題も、結局はこの親ガチャの問題に直結していると言えると思います。

 

しかし、この作品は、「親ガチャ」にはずれたそんな子にこそ読んで欲しい作品だと思いました。たしかに、不幸な環境に生まれたことは同情の余地はあるし、国の制度として支援することは大切だと思いますが、結局は「環境を恨んでも何も変わらない」ということを、主人公の吾一は教えてくれます。

 

毒親の元に生まれて、子どもに「自己責任」を押し付けるのは酷な話かもしれませんが、でも考えてみれば「自己責任」という言葉は、ある意味、救いの言葉でもあると思うのです。もし「自己責任」がないならば、生まれた環境は変えられず、そのまま甘んじなければいけませんが、すべてを自分の責任下に置いた時に、自分の力で、努力で、判断で変えていくことが可能となるからです。

 

古今東西、貧しい環境から成功者になっていく人のマインドは、結局はこの「自己責任」。この作中には「かんなん なんじを玉にする」というセリフが出てきますが、艱難(苦難困難)こそ、なんじを珠(昔でいう宝石)にするというのが、この作品を貫くテーマです。

 

 

未完結の作品

読み進めていくと、途中「ペンを折る」という章があり、実はこの作品は未完結の作品であることを知りました。

 

この作品が雑誌に連載されていたころは、日中戦争が勃発したその最中にあり、思想統制があり、内容に対する検閲も厳しかったようです。主人公の吾一のように、純真な心をもつ作者にとっては、自分で心にも思っていないようなことは書けなかったのでしょうね。作者の懺悔の言葉とともに、この作品は吾一の「これから」という所で終わってしまいますが、山本有三作品のファンになった読者としては、本当に残念でなりません。

 

路傍の石とは何だったのか

作者は『路傍の石』というタイトルにどんな思いを込めたのか。結局、作者は戦争が終わっても続きを書くことはなく、その真意は分からないままです。

 

しかし、私は自分の願望も込めて『路傍の石』の意味を考察してみると、「路肩に蹴とばされても、その輝きが本物であれば、必ず誰か拾い上げてくれる人がいる」という事ではないかと思いたい。

 

この作品の最後を読むことは今となっては叶わぬことですが、吾一が艱難を乗り越えた末、玉となるハッピーエンドを信じてやみません。

 

 

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