竹の節(ふし)
青々と天高く伸びる竹。
竹林の奥にひっそりとたたずむ東屋など、日本の風景にもよく合いますよね。
この竹を見ると、20㎝から30㎝の間隔で節(ふし)があるのが分かります。
どの竹も節の部分はカッチリとしていて、先のほうにいくほど、細くやわになり風に揺られていますが、その部分も時間が経つと、次第しだいに同じように節になり、さらに上へと伸びていく土台となっています。
あの竹という植物を見ていると、確実に確実に節を固めて成長していくのが分かります。
竹という植物は風に強く、いくら風が吹こうとも、節の部分でしなやかにしなり、そう簡単には折れません。
竹はまるで自分が成長したという証拠を確実に刻むかのように、節を作って成長しています。
竹の気持ちを考えると、節を作っている時期は、一時的に成長が止まるようにも思えて、もどかしいのではないでしょうか。
「節なんて作らないで、一気に10m、20mまで伸びていきたい」なんて思っているかもしれませんが、竹の構造を眺めていると、やはり、この節が次の成長の土台になっていることは間違いありません。
だから、どこまでも天高く伸びていけるんですね。
人生における節目(節目)
人生においても竹と同じく節目(ふしめ)はあります。
進学や結婚や就職など、時期における節目もありますが、私は「がんばり時」という意味での節目もあると思うんです。
幼少の頃で言えば、お母さんから離れて幼稚園や保育園に行かなくてはいけない時期。
それから、早い子は小学校から、最近は中学校受験も増えてきて、高校、大学と青少年期において受験は、最大の節目、がんばり時でもあります。
また、会社に就職したらなおさら厳しい現実が待っています。
希望通りの職業につける人はまれで、就職しても3年以内に30%の人が辞めてしまう時代、忍耐力が問われます。
さらに、結婚の話で言えば、今は男性の4人に1人、女性の5人に1人が独身という時代になり、結婚相手を見つけるのだって相当な努力がいりますよね。
おせっかいな叔母さんが、無理やりお見合い写真を持ってきて結婚をせかすなんてことは今は昔で、ある意味幸せな時代だったのかもしれません。
子育ては子育てで悩みは尽きないものですし、やっと子どもの手が離れたと思ったら、次は親の介護がはじまります。
このように、人生においては人それぞれ「がんばり時」が一定期間おきにおとずれますが、私はその時こそ「人生の節」を作っている時期ではないかと思います。
人生の節の時期は、ある意味、苦難・困難の時代と言えるかもしれませんが、この時期に、困難に立ち向かわずに逃げてしまうと、「折れやすい」人間になってしまうのではないでしょうか。
和顔愛語で柔和なお顔をしているお年寄りに話を聞くと、大変な戦争経験をしてきた方も多くいらっしゃいます。
そうした人には言えない苦労を経験してきたからこそ、ちょっとやそっとじゃ心が折れない、しなやかさが滲み出てくるんですね。
京都の詩仙堂
今回、なぜ竹の話を四コマ漫画にしたかというと、今年のお正月に京都の詩仙堂丈山寺に行ったときのことを思い出したからです。
詩仙堂は、漢詩人の石川丈山(1583年~1672年)が晩年を過ごした山寺で、山門をくぐると、両脇が竹藪になっていて、その石畳を進むとひっそりと山荘が現れます。
観光地かした有名なお寺とは違い、知る人ぞ知る山荘なので、人もまばらで、詩仙堂の庭を眺めながら、これまでの人生を振り返ったときに、頑張って来た節目、節目が思い出され、何とも心豊かな時間を過ごせまました。
そんな詩仙堂の竹藪を通りながら考えたのが今回のお話です。
でも、人生には時には楽しみも必要です。
帰りにはしっかりと「京煎堂」の抹茶パフェと、おしるこわらび餅セットを食べて帰ってきました。
詩仙堂、京煎堂、ともにお勧めです!!
超ボリューム満点 子どもたちも1人1個たべました
冬はやっぱりおしるこでしょ。わらび餅ももちもちで最高でした