ダーウィンの進化論への違和感
世界でもっとも有名な仮説といっても過言ではないダーウィンの「進化論」。
小さい頃に読んだ図鑑にも、猿から人間に進化する絵が図解されていました。
普通の子どもなら「そういうものだ」と受け入れるのでしょうが、私は子ども心に何か違和感を感じていたんですよね。
その違和感とは・・・
考えてもみれば不思議じゃないですか?
進化の最初の「猿」と、最後の「人間」は存在していますが、その間の「猿人」がいないんですよね。
「それは、長い間かけて人間に進化しきったからだ」という意見も出そうですが、それならば、最初の猿はいなくなってもおかしくないですよね。
もちろん、科学や進化論全部を否定しているわけではないんです。
たとえば、空を飛んでいたペンギンが、外敵から身を守ったり、エサを求めて水の中を泳げるようになったりする「進化」は当然あると思います。また、使わなくなった能力が退化することもあるでしょう。
ペンギンの場合は、今の形に進化しきっているので、空を飛べるペンギンはもういませんよね。
また別の例をあげると、犬のサモエドが品種改良されてポメラニアンになったようなことも、ある意味、進化といえば進化かもしれません。
この場合、サモエド → ジャーマン・スピッツ → ポメラニアンといったように、ちゃんと進化の「間」が存在しているんですよね。
だから進化論でも、ペンギンはペンギン、犬は犬といったように、同一種の中での進化は当然行われてきたと思いますが、「猿」が「人間」にはならないんじゃないでしょうか?!
やはり、ペンギンはペンギン、犬は犬、猿は猿、人間は人間として、神様はすべての生き物を「よかれ」と創造されたのだと思います。
こういう事をいうと、地動説が主流だった時代に天動説を説いたガリレオ・ガリレイのように、裁判で断罪されるかしら。魔女裁判にかけられたりして。
科学とは未知への探究
私は小さい頃から宇宙人も信じています。地球から見える範囲の夜空だけでも、2兆個の星々があるそうです。そんな大宇宙に、地球だけにしか生命がいないなんていうのも、逆に非科学的だと思いませんか。
進化論もあくまで現段階での仮設にしかすぎません。この大宇宙にはむしろ解明されていないことの方が多いし、科学とはそもそも「未知への探究」なのですから、子ども心に疑問に思ったことを大切に、謙虚に探究すべきなのではないかと思うこの頃です。
おまけ
ちなみに、ラッキーはお友だちを見つけると、二足歩行で「ぴょんぴょんぴょん」と歩くことができます(笑)。